「家を買ったほうが得」が腑に落ちない話

記録

家の話をすると、ほぼ確実に言われる言葉がある。
「家は買ったほうが得だよ」。

正直、この言葉を聞くたびに、私はどこかで立ち止まってしまう。
言っていることはわかる。
数字の話も、理屈も、理解はできる。

でも、なぜかそのまま飲み込めない。
「そうだよね」と言えない自分が、ずっと引っかかっていた。

この違和感は、知識不足でも、計算ができていないからでもない。
たぶん私は、「得」という言葉でまとめられてしまうには、家という選択が、あまりにも重たいと感じているだけなんだと思う。

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家の話になると、なぜこんなに疲れるのか

「家を買ったほうが得」と言われるたび、引っかかっていた

家の話をすると、かなりの確率で出てくる言葉がある。
「家は買ったほうが得だよ」。

家賃は捨て金だから。
どうせ払うなら資産になるほうがいいから。
老後のことを考えたら、そのほうが安心だから。

言っていることは、理解できる。
数字で説明されれば、納得できそうな気もする。

それでも私は、この言葉がどうしても腑に落ちなかった。
間違っている気がするわけではないのに、そのまま受け取ることができなかった。

デメリットを直視するという選択

賃貸のメリットについては、10年の流動性を約300万で購入している、ということで、もう十分理解している。

数字でも、理屈でも、納得はしている。

それでも決めきれない理由は、デメリットの重さが、私にとっては感情的に大きいからだと思う。

感覚的に、これ以上メリットを積み上げても、私の決断はきっと前に進まない。
だから一度、メリットを増やすのをやめて、デメリットをしっかり直視してみることにした。

・どのデメリットが一番重いのか
・それを何年抱えられそうか
・その選択をした自分を、あとで許せるか

この3つを、正直に考えてみる。

賃貸の場合と購入した場合のデメリットを考えてみた

感情や違和感だけで判断するのも違う気がして、一度、意識的に整理してみることにした。

家を買った場合と、買わなかった場合。
それぞれのデメリットを、できるだけフラットに並べてみる。

家を買った場合のデメリット

・初期費用や諸経費の負担が大きい。
・簡単には身動きが取れなくなる。
・将来、売れるか貸せるかはわからない。
・固定資産税や修繕費を抱え続けることになる。

家を買わなかった場合のデメリット

・家賃は資産にはならない。
・高齢期の住居確保に不安が残る可能性がある。
・長期的に見ると、支払総額が大きくなるかもしれない。

こうして見ると、どちらにも、もっともらしい理由がある。
そして、どちらにも、はっきりした弱点がある。

感情的デメリットの種類が違う

こうして並べてみると、デメリットの種類が違うと気づいた。

家を買った場合の感情的デメリット

家を買った場合のデメリットは、「一度選ぶと、簡単に引き返せない」系。

● 初期費用・諸経費が大きい
→ 手元の現金が一気に減る安心感の喪失

● 身動きが取りにくくなる
→ 住み替え・働き方・家族の変化に即応しづらい

● 売れる・貸せる保証はない
→ 「いざという時の逃げ道」が不確実

● 固定資産税・修繕費を抱え続ける
→ 見えない将来コストをずっと背負う感覚

感情的な重さの正体は「失敗したら取り返しがつかないかもしれない」不安だ。

家を買わなかった場合の感情的デメリット

家を買わなかった場合のデメリットは、「時間とともに、じわじわ効いてくる」系。

● 家賃は資産にならない
→ 何十年払っても手元に残らない虚無感

● 高齢期の住居不安
→ 借り続けられるのか、選択肢はあるのかという不透明さ

● 長期的な支払総額が大きくなる可能性
→ 気づいたら“払い続けてきただけ”になる怖さ

感情的な重さの正体は「何も残らなかったらどうしよう」という後悔の予感がする。

どのデメリットなら自分は引き受けられそうか

それぞれのデメリットを、自分の生活に当てはめて想像してみる。

想像しただけで心が重くなるのはどれか。
不安を感じたまま、何年も過ごせそうか。
それを選んだ自分を、後から責め続けないか。

金額や確率よりも、「その状態で暮らす自分」を受け入れられるかどうか。
ここを見ないまま決めるのは、私には無理だと思った。

家を買う・買わないの判断で、後から効いてくるのは、
「一番得だったか」よりも、「一番しんどい状況を引き受けられたか」だと思う。

それでも「家を買ったほうが得」という言葉が強い理由

それでも世の中では、「家を買ったほうが得」という言葉が、あまりにも強い。

なぜここまで、繰り返し言われるのだろう。

考えてみると、この言葉が指している「得」は、多くの場合、平均的で、過去の成功体験に基づいた“正しさ”だ。

・長く同じ場所に住み続ける前提
・収入が大きく下がらない前提
・家族構成が大きく変わらない前提
・売却や相続がうまくいく前提

これらが成立すれば、たしかに「得」になる可能性は高い。

でも私は、その前提すべてを、心から信じきることができなかった。

未来が不安だからではない。
むしろ、未来が一通りではないことを、もう知ってしまったからだ。

「得」という言葉が、私には少し乱暴に感じた理由

「得」という言葉は、とても便利だ。

数字にできる。
比較できる。
人に説明しやすい。

でもその分、そこからこぼれ落ちるものも多いと感じた。

・動けなくなるかもしれない不安
・失敗したときの取り返しのつかなさ
・決めたあとに、自分を納得させ続ける疲労

こういうものは、「得かどうか」という軸では測れない。

それなのに、「得」という言葉で一括りにされると、自分の感じている違和感まで、「考えすぎ」「気にしすぎ」として処理されてしまう気がした。

だから私は、この言葉に引っかかり続けていたのだと思う。

それでも、すぐには決められなかった

ここでもう一度、最初に立てた問いに戻ってみた。

「家を買ったほうが得?」

賃貸のメリットは、もう十分に理解している。
流動性の価値も、数字としては腑に落ちている。
だからこそ、これ以上メリットを積み上げても、決断が前に進む気はしなかった。

感覚的に、私に足りないのは「理由」ではない。
足りないのは、デメリットを引き受ける覚悟の輪郭だった。

だから視点を変えて、こう考えてみることにした。

・どのデメリットが、自分にとって一番重いのか
・その重さを、何年くらい抱えて生きられそうか
・その選択をした自分を、あとから責めずにいられるか

「得かどうか」ではなく、「そのしんどさと一緒に暮らせるか」を考える。

そうやって向き合ってみると、すぐに答えが出ないのは、優柔不断だからではないと感じた。

もう一つ気づいたのは、「決めないでいる時間」にも意味があるということだ。

家は、今日決めなければ失うものではない。
でも、納得しないまま決めてしまうと、その違和感は何年も付きまとう。

今の私にとっては、急いで答えを出すことよりも、違和感を無視しないでいられることのほうが大事だった。

どちらの選択にも、現実的な痛みがある。
どちらも簡単に切り捨てられない。
だからこそ、即断できない。

今の私は、買うか・買わないかを決める段階ではなく、どこまでなら耐えられるのかを見極めている途中なのだと思う。

「まだ決められない」という状態そのものが、この問題に真剣に向き合っている証拠なのかもしれない。

今回の備忘録

  • 「得かどうか」で測れないものはなにか
  • デメリットの重さを見る
  • どちらの感情デメリットを引き受けられそうか?
  • それでもやはり決められない自分がいる

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まだ決めていない私が実際に内見して気づいたこと

※この記事は「住宅検討ログシリーズ」の一部です。
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